様々な顔を持つデューク・カハナモク

デューク・カハナモク像

 今朝Googleロゴの特別イラストを見て知りました。今日8月24日はデューク・カハナモクさんの誕生日で、2015年の今年は生誕125周年だそうです。

デューク・カハナモク??って人やハワイに行ったことない人でもクヒオビーチ(ワイキキビーチ)前の銅像の人といえばお分かりいただけるんじゃないでしょうか!?

ところでデュークさんて何をしていた人かご存知でしょうか?私もやんわりとしか知らなかったのですが、改めて調べてみると様々な顔を持つことを発見したので紹介します。

キング・オブ・スイマー

 両親から海と共に生きることを教えられ、すでに幼少期には泳ぎを習得していたと言われています。1911年、デューク21歳のときに初出場したアマチュアの水泳大会では100ヤード自由形の世界記録を4.6秒も縮めるという驚異的なタイムを叩き出し、同大会の220ヤード自由形で世界記録を更新、50ヤード自由形で世界タイ記録を出し世界中から注目されることになります。

その実力が認められ、翌年1912年開催のストックホルム五輪では代表選手に選ばれ、その予選会の200メートル自由形で世界記録を樹立し、100メートル自由形で金メダル、800メートルリレーで銀メダルを獲得しました。

まだまだデュークのスイマーとしてのキャリアは終わりません。1920年に開催されたアントワープ五輪では100メートル自由形で金メダル、800メートル自由形でも金メダルを獲得します。さらにはデューク34歳のときに開催されたパリ五輪でも100メートル自由形で準優勝するという、まさに世界が認めるキング・オブ・スイマーなのです。

近代サーフィンの父

 スイマーよりサーファーとしてのデューク・カハナモクのことの方が多くの人に知られているのではないでしょうか!?

1930年代にはデュークをはじめとしたワイキキ・ビーチボーイの間くらいでしか、サーフィンは楽しまれていなかったと言われています。そんな状況を打開するべくデュークは10年に渡りオーストラリやアメリカ本土にスポーツとしてのサーフィンの楽しみを紹介します。その甲斐あって各地にサーファーの数が増え、現代のサーフィン文化の基礎が築き上げられました。

ちなみにデュークが仕様していたサーフボードは「パパ・ヌイ」といわれるコアウッドで作られたもので、非常に長くて重さは50キロ以上あるものです。これは現代では考えられない重さのボードで、当時のハワイアンサーファーはそれでビッグウェーブを楽しんでいたということは、相当な身体能力と海の知識に長けていたということですね。

ビジネスマンでもある

 ビジネスマンとしてのデュークはあまり知られていないのではないでしょうか!?私も知りませんでした。

1940年代の戦争による輸出規制でアロハシャツ業界は大不況を向かえることになります。オリンピックメダリストとして、サーフィン文化の伝道師としての功績を残したデュークは、ここでも一役買うことになります。

アメリカ本土の大手メーカーとアロハシャツのプロモーション契約を結び、全米中でファッションショーなどの宣伝活動を行い大成功を収めます。また、1953年に制作された映画「地上より永遠」では主役のモンゴメリー・クリフトがデュークブランドのアロハシャツを着ていたことによって注目されたようです。

ハリウッドスター!?

 もう全然知りませんでした。デュークはデビュー作である「海のロマンス」をはじめ、「逃走の島」など通算30本の映画に出演しています。

まとめ

 改めてデュークさんのことを調べてみると凄い人ですね。色々な功績がありますが、全てにおいてデュークさんの行動の基には、ハワイ文化を愛しシェアすることがありますね。まさにアロハスピリッツとはそういうことなんじゃないかなと思いました。ワイキキビーチ前に銅像が建てられるのも納得ですね!

ちなみに、本物のサーファーやウォーターマンは海に背を向けて立たないよという理由でワイキキビーチのデューク像はローカルからは不評なんですよね。